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山内視弘お絵描き躁鬱人生

日々の出来事、闘病記、絵の事などをのんびりと。

自己紹介。ゆらり、ゆらり。③

自己紹介

自己紹介三回目。短期大学時代について、ざっくりと書こう。

 

絵が得意という理由で美術短期大学に進学し、僕は一人暮らしを始めた。

初めての一人暮らし。不安もあったが、自由に自分の時間を過ごせるという事もあり、わくわく感の方が強かった。また、進学した短期大学が美術系ということもあり、自分と似たような人がたくさん居るのだろうと、想像し、心を躍らせていた。しかし、入学して1か月ほどたち、周りにちらほらとグループができ始めたころ。僕はどこのグループにも属しておらず、友達もできていなかった。なんでかはこの頃はわからなかったが、同級生とはあまり積極的に仲良くなろうと思えなかったのだ。代わりに、僕は先輩たちと積極的にコミュニケーションをとった。僕のキャラクターを先輩たちは面白がってくれて、よく飲みに行ったり遊びに行ったりした。その中の一人の先輩と付き合うこともできた。先輩たちと遊ぶようになってから、同級生とも少しずつ会話をするようになった。周りとは少し遅れて、短大生活が楽しくなってきたのである。

 

美術大学だったので当然、ものを作る。僕は成績で見れば結構まじめで優秀な学生だった。周りには、美術高校上がりの学生や高校時代美術部だった学生が結構いたが、それらの人たちよりもデッサンや立体の授業の出来はよかった記憶がある。初めての事でも小器用にこなすタイプの学生だったのだ。そして一年生後期に学科内のコースわけが行われ、僕は希望していた絵画コースに入った。美術的な絵画は全然興味がなかったが、事前に行われた絵画基礎演習の課題評価がよかったので絵画コースを選んだ。

絵画コースに入り、コースの授業が始まる。僕を含め、学生は七人いたが、僕はほとんど誰とも会話しなかった事を覚えている。ひたすら制作に集中した。ガリガリ絵を描いた。基本、教授の言ったことは無視して、自分で試行錯誤して絵を描いていた。次第に教授からはアドバイスされなくなった。でも、制作が好きだったので長期休暇の時も、実家に帰らずに大学のアトリエに毎日通った。

2年生になったあたりから、精神の不安定さが目立つようになる。同時に、生活のリズムがめちゃくちゃになっていった。とてつもない鬱の状態が続いたと思えば、ものすごい元気になったりする。ちょっとしたことで激怒したり、ぽろぽろと涙がこぼれたりする。不眠の日々が続き、3日間一睡もせずに活動していた時もある。決定打になった出来事は卒業制作が佳境に入ったころ。僕の精神はぼろぼろに壊れており、衝動的にその場にあった精神安定剤睡眠薬をすべて飲み、自殺をはかった。起きた時、僕は病院のベットで横になっていた。そして医者にこれまでの事を話し、こう告げられた。

 

「あなたは双極性障害です」

 

そのあと治療のために即入院。卒業制作は未完成のままで提出し、教授の計らいで卒業させてもらった。