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山内視弘お絵描き躁鬱人生

日々の出来事、闘病記、絵の事などをのんびりと。

自己紹介。ゆらり、ゆらり。②

自己紹介

前回の続きである。「高校病み視(のり)時代」について語る。

 

いろんな人から嫌われ、いじめに遭いつつも楽しくもあった中学生生活を終えた僕は、高校生になった。僕が進学した高校はあまり成績のよろしくない生徒が集まる普通高校で、僕もその一人だった(中学時代はほとんど勉強せず、成績は限りなく低空飛行だった)。入学と同時に、同じ高校に通っていた兄に半ば強引に中学生の時もやっていたハンドボール部に入部させられた。ハンドボール部に関しては県内でも1位2位を争う割と強豪校だったので、当然、練習はきつい。ついていくのが精一杯だった。

学校生活はというと、中学校の時のいじめられた教訓から、できるだけ周りにあわせてクラスのカースト上位のグループに属すように心がけた。しかし、入学から数か月たち、皆、緊張感が抜けてきたころ。僕は心の中によくわからない違和感を感じ始めていた。そしてそれが体の異常として現れる。

 

なんとみんながいる教室でいきなり過呼吸を起こして倒れてしまったのだ。

 

自分でも何が起きたのかわからない。いや、周りの人たちはもっとわからなかっただろう。そこから、なんだか僕の歯車は狂い始めた。(詳しくは「山内視弘暗黒高校時代」としてまたの機会に語るとしよう)

発作は頻繁に起こし、最初は気遣って心配してくれる人たちが大勢いたが、回数を重ねるうちにその数は減り、次第に人は離れていった。自分に何が起きているかわからないという苛立ち、周りに対しての苛立ちに悩まされ、次第に感情の起伏が激しくなっていった。高校3年生になると、校内で僕に話しかける生徒はほとんど居なくなっていた。唯一会話するのは先生と部活の仲間ぐらい。

孤独になった僕は趣味に没頭した。学校の休み時間は音楽を聴き、授業中はずっと絵を描いていた。学校のイベントは全然楽しめなかったので、まじめに取り組まなかった。

そして担任に勧められた美術短大を受験し、なんとなく合格して、卒業式は一切感動もせず、卒業し、短期大学に進学した。